ある日。旅の魔法剣士ファリーは、ここ一年ほどご無沙汰していた酒場に顔を出した。
「こんちは、ミスラさん!」
 彼は挨拶と共に勢いよく扉を開け……扉の奥から伸びて来た拳がその顔面を強打する。
 伸びて来た腕は細い女の手、しかし拳突の衝撃は大の男を上回るものであり、ファリーは受身も取れずに派手に吹き飛び、石畳に背中から落ち、それでも勢いは衰えず、ゴロゴロと三回ほど転がり、向かいの家の壁に後頭部を打ち付けてやっと停止した。
『ああぁっ、ファリーさんっ、大丈夫ですかぁっ!?』
 慌てて精霊のハルタワートが駆け寄るが、彼はぐったりして動かない。
 それを酒場の玄関から見下ろすミスラは、
「ここ一年近く手紙すら出さなかった挙句、久々の再開の挨拶がそれか、すっとこどっこい」
 と言いコーンパイプを一息吹かした。
「仮にも母親の敵を打つのに協力した仲間なんだから、もっと頻繁に顔を出してもいいんじゃないのか? ん?」
 するとファリーは何事も無かったかのようにむくりと体を起こし、
「いや、まあ、なんつーか。僕も色々と忙しかったし」
「色々って何だ、色々って。具体的に説明しろ」
『……どうでもいいんですけど、なんであれだけ派手に吹き飛んで無傷なんですか?』
 ハルタワートのもっともな疑問を他所に、二人は懐かしそうな顔をして会話をする。
 どうやら二人は古い馴染みらしく、唇の端が緩んで自然な笑顔になっていた。出て来る話題は冒険者仲間の事が多く、あいつが死んだ、あいつが行方不明になった、と物騒極まりない会話が続く。
『あのぉ。もうちょっと前向きな話題は無いんですかぁ?』
 黙って会話を聞いていたハルタワートにそう言われ、二人は同時にうーんと呻き、
「この話題で盛り上がるのが基本だしなぁ」
「……と言うか、お前誰だ?」
 ミスラの言葉で彼女を紹介し忘れていた事に思い至ったファリーだった。



「という訳で、ハルちゃんが僕の旅の同行者となったんだ」
 ファリーがそう話を締めると、酒場のあちこちから拍手と口笛が聞こえて来た。
 酒場『ダンジョンマスター』の客は、基本的に話し好きだ。当然話を自らするのも好きだが、人の面白い話を聞くのも大好きと来ている。そんなわけでダンジョンマスターには話し好きの人が集まり、益体も無い噂や貴重な情報が飛び交う事となるのだ。
 遠くを旅して来たファリーの話はダンジョンマスターの客たちの拍手喝采を持って迎えられ、今も話を披露させられていた。
 多少喋り疲れた感もあるファリーだが、人前で話すのは得意という事もあり、割り合い嬉々として体験談を面白おかしく話している。
「さて。ハルちゃんと旅をするようになってまだ一ヶ月だけど、その間にも色々と面白い出来事があったんだ。例えば――」
 ファリーの独演会は続く。そして、まだ終わりは来そうになかった。
 その間、彼の旅の同行者たるハルタワートは暇をしていた訳ではなく、
「うわー、精霊様だー。触っていいー?」
「精霊ってのは、皆あんたみたいに美人なのかい?」
「も、萌えっス! 萌えっスよ!」
「儂の願い事も叶えてくださらんかのぅ」
 多種多様な人々から声をかけられまくっていた。
 元々精霊というものは、人前に姿を見せる事がない。自然に宿る精霊は当然として、彼女のような願いの精霊も姿を現す事は極めて稀なのだ。当然彼女は興味の的となっており、酒場はファリーの話を聞く人間とハルタワートに興味を示す人間が半々の割合になっていた。
『あ、あうぅ。そんなに一編に言われても、答えられませんよぅ』
 困惑と言うより圧倒され、彼女は酒場の隅に移動する。当然群集はそれについて行こうとして、
「あんまり他のお客さんを困らせる事はしないように」
 店長であるミスラに釘を刺された。
 彼女の力を知る4割が素直に引き下がり、好奇心はあったもののこれ以上彼女を困らすのは可哀想だと思った4割が自分の無遠慮な行いを恥じつつ引き下がる。残りの二割はしつこく付き纏おうとし、金色の瞳が印象的なウェイターと美しい銀色の髪を持つウェイトレスに店から叩き出されていた。
「他のお客さんの迷惑になる行為は禁じられていますー。自分の行いを反省してから、またいらして下さいー」
 ウェイトレスが暢気な声で言い、ウェイターは黙々と怒鳴る客を叩き出す。
『うわ。容赦ありませんねぇ』
 ハルタワートが呟き、隣に座った女性がそれに答える。
「モラルには拘るんだ、オルムもアルマも」
『オルムがウェイターさんで、アルマがウェイトレスさんですかぁ?』
 そうだ、と答え、彼女の隣に座った客は自分の名をアーシャと名乗った。
「この酒場は初めて来たんだろう?」
『そうですけど、どうしたんですかぁ?』
 首を傾げるハルタワートに、アーシャは深刻な顔をして言う。
「普通に過ごす分には楽しい店だが、何があろうとも無法は働くな。それがこの店を利用する者たちの暗黙のルールだ。もし無法を働いたならば……」
『ならば?』
「オルムとアルマに叩きのめされて再起不能だ」
 再起不能と聞いて、彼女は『うえー』という顔をした。
『容赦無いんですねぇ』
「オルムなんか、複合意味内包言語ノタリコンを駆使して複数の魔法を同時詠唱するしな」
『…………』
 しばし沈黙するハルタワート。その言葉の意味をじっくり考え、
『……人間ですかぁ?』
 何か得体の知れない恐怖を感じ質問した。
 アーシャはどこか虚ろな顔をして、
「これは私の勘だが……たぶんまっとうな人間じゃないぞ、あいつは」
『…………』
 この酒場は何なんだろう。
 非人間のハルタワートをして、そんな言葉が脳裏をよぎる。
 彼女の不信感を感じたのか、アーシャは微笑するとラム酒を煽る。
「だが、それであいつの人間性が変わる訳でもないしな。真面目で誠実、多少容赦が無い所はあるが基本的には温厚。いい奴だぞ。色恋沙汰に鈍感なのが唯一の欠点か」
 彼女はどこか遠くを見て言い、空になったグラスに手酌で酒を注いだ。
 ちなみに彼女の周りには、空になった酒のビンが五本ほど転がっている。
『ザルですねぇ』
「酒豪と言ってくれ」
 暢気に会話する彼女たちの後ろでは、件のウェイターが酔っ払って殴りかかって来た男と対峙していた。
 右肩を前にし、左手を振り子のように左右に振る構えヒットマン・スタイルをとるウェイター。酔っ払いが何かしようとするよりも早く打ち出された変則的な軌道を描く高速ジャブフリッカー・ジャブが次々と炸裂し、棒立ちになったところで打ち下ろしの右パンチチョッピング・ライトが顎に突き刺さる。
 どう、と床に倒れる酔っ払いを尻目にウェイターがガッツポーズを取り、周りの客たちはやんやの喝采でそれに応えていた。
『……なんで拳闘スタイルで戦ってるんですかぁ?』
 一部始終を見ていたハルタワートの疑問に、
「あいつはネタ好きでな……。客が盛り上がるように毎回趣向を凝らした怪しい技を使うんだ」
 とアーシャがミもフタも無い解答を提示する。
『パフォーマーですねぇ』
「ただのネタ野郎という可能性もあるがな」
 そう言い、二人は笑いあった。



追伸:ファリーは客のアンコールに応え夜通し喋りつづけた挙句、数日ほど喉飴を手放せない事態に陥ったという。

追伸2:アーシャのペースにあわせて飲んでいたハルタワートも、しばらく二日酔いでダウンしていたという。それを見たファリーは「精霊も二日酔いになるんだ」と関心したが、これはまた別の話。
 


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