ある日、旅の途中にある傭兵ファリーは森の途中で川に出くわした。
 流れる川の水は澄んでおり、飲めば冷たくほのかに甘い。旅の疲れと喉の渇きを存分に癒したファリーは旅の続きをしようと川から立ち去ろうとし、目の前の地面に刺さっている立て札に気付いた。
 辺りには人の立ち寄った痕跡が一切無いというのに、立て札はつい今しがた造ったかのようである。そもそも水を飲むまで立て札など存在しなかったはずなのだが、とファリーは首を傾げ、立て札に墨で書かれた文字を読んだ。


上流、願いの泉。
どんな願いも叶う、霊験あらたかな泉です!


 彼は指を舐めて眉に唾をつけると――こうすると幻覚魔法に抵抗できるという迷信がある――大きく息を吐き、立て札を無視して先へ進もうと足を踏み出した。
 途端に今まで快晴であった空が嵐のように曇り、雷鳴が耳を震わせる。鳥の声も虫の声も一切が聞こえなくなり、それどころか生き物の気配すら消え果た。
 それでも先に進もうとしたファリーだが、何処からか『行かないで〜、行かないで〜……。行ぃぃぃぃかぁぁぁぁぁなぁぁぁぁぁいぃぃぃぃぃぃでぇぇぇぇぇぇ』という地獄の奥底から響くような声が聞こえるに至り、ついに先に進むのを諦めた。
「これは、アレだ。泉とやらに行かないとダメっぽいですな」
 その途端に空は雲ひとつ無い晴天に変わり、鳥や虫の声と生き物の気配も蘇った。
 頭の中に『安達ヶ原の鬼婆』という謎の単語がよぎったが、ともかく愚痴り立て札にワンパンチを入れて、その指示に従う。
 小石がゴロゴロした河原は多少歩きにくかったが、苦労するほどでもない。長年使い込まれたナップザックを左肩に担ぎ、右手には銀色の剣を握ってどんどん先へ進む。
 果たして川の上流には本当に泉があり、また泉の傍らには原色で塗られた派手派手な立て札が刺さっていた。どう見ても新品の立て札には、思春期の少女も書かないであろうと思われるほどの丸文字で


きゃる〜ん♪
ようこそ、ここはア・ナ・タの願いを何でも一つだけ叶える願いの泉よっ♪
ステキな願いが決まったら、金貨を一枚水面に投げてね。それが私とアナタの合言葉よ♪


 ……と書かれてる。
 何でこんな怪しい文体なんだ。
 『きゃる〜ん♪』って何なんだ。
 そもそも金貨を水面に投げ込むのは、合言葉じゃないだろ。
 これ以上無いくらい眉根にしわを寄せたファリーは眉間に手を当て二度、三度と頭を振り――

 やおら立て札を蹴り飛ばし、全力で泉を埋めにかかった。

『ああああああっ、やめてくださいぃぃぃぃぃ』
 どこからか取り出したスコップで土砂をざくざくと泉に投げ込むファリー。彼の耳ではなく脳に先程の声が響くのだが、今度は怯みもしないし躊躇もしなかった。ひたすら面妖な泉を埋めようと行動するのみだ。
『ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、謝りますからそれだけわぁぁぁぁ』
 必死な――間延びした声なのでイマイチ悠長な感じもするが――悲鳴が聞こえるに至り、彼はスコップを地面に突き立てると謎の声に告げた。
「礼儀作法、その一。人と話すときはポケットから手を出して、ちゃんと相手のほうを向いて喋りましょう」
『はっ、はいっ、分かりましたぁぁ」
 声と共に水面が揺らめき、インクが何も無い所から滲み出るように声の主が姿を現す。それは若い娘の姿をしており、体つきは大人の色気を持っているわりには童顔だった。着ている服は今にも透けそうな薄絹の衣で、肢体のボリュームをより強調している。
 耳の先が尖っている――いわゆるエルフ耳だ――のは、妖精族か精霊族か、もしくは神族ということだろう。
 しかしファリーの反応はいたって淡白なもので、気だるそうに
「萌えー」
 と言っただけだった。
『あ、あのぉ。萌えって何ですか?』
「昔の方言」
 不思議そうな顔をする謎の人外ロリ(顔だけ)に適当に答えてから、彼は事情の説明を要求した。
『ううぅ。語るも涙、聞くも涙の物語なんですぅ』
「いや、」
 そんな事はどうでもいいから。
 そう言いかけたファリーだが、滝の如く涙を流す人外ロリ(顔だけ)の前で言うのも無粋かと思い、押し黙る。
『ご覧のとおり私は願いの泉の精霊なんですけどぉ、昔、仕事でポカやっちゃったんですぅ』
「ポカって、どんな?」
 すると人外ロリ(顔だけ)は『はううぅぅぅぅ』と溜息をつき、
『お客さんに「争いの無い国へ行きたい」って頼まれたんで、独裁政権で治安だけは凄くいい所に送ってあげたんですぅ。そうしたら「侵入者だ」「異邦人だ」「スパイだ」「ベトコンだ」って大騒ぎになっちゃって……。すぐ安全な所に転送して、謝って、お詫びの品も渡したんですけどぉ、上司はカンカンになってましてぇ、結局こんな僻地に飛ばされてしまったんですぅ』
「…………自業自得?」
『うわぁぁぁんっ』
 泣いて走り去ろうとする人外ロリ(顔だけ)だが、泉に縛られているらしく外に足を踏み出そうとした瞬間にべちっ、と転び、膝をかかえてグスグスと泣き出した。
 彼女が落ち着くのを待ってから、ファリーは今度はあの面妖過ぎる立て札と怪奇現象について尋ねた。
『ううぅ。私たちは人のささやかな願いを叶えて、その喜びを活力にしているんですけどぉ、こんな辺鄙……というより秘境みたいな所を通りかかる人なんて全然いなくってぇ』
「だから、僕が逃げないように色々と?」
 そうなんですぅ、と肯く人外ロリ(顔だけ)。彼は溜息をつくと、
「あれだけ怪しいと、普通は悪魔が仕掛けた罠だと思うけど」
 と忌憚の無い意見を述べた。
 すると彼女は
『仕方ないんですよぉぉぉぉ。こんな辺鄙な所で花の青春時代を過ごさないようにするには、ちゃんと仕事ができるって実績を残さないといけないんですぅぅぅぅ』
 と嘆いて再び滝のように涙を流す。
『実績を残さないといけないのに、人が通らない所へ飛ばされるっ。ジレンマですよぉぉ』
「ジレンマと言うか……」
 二度と中央に戻って来るな。お前の出世の道は閉ざされたのだ……って事じゃないかな?
 出そうになった言葉を抑え、彼は泣きはらす人外ロリ(顔だけ)に尋ねた。
「それで、僕の願いは叶えてもらえるのかな?」
『はいぃ。「世界を俺の物にっ!」とか、「不老不死をっ!」とか、「酒池肉林っ!」とか、そういう願いじゃなければ大丈夫ですよぉ』
 ファリーは一つ肯くと、自分の願いを口にした。



『……いいんですかねぇ?』
「いいんじゃないの?」
 翌日、ファリーと人外ロリ(顔だけ)の姿は森を抜けた先にある草原にあった。
『私も先輩たちから色々と変な願いをする人の話は聞いてましたけどぉ、まさかこんな願いをする人と巡り合うなんて思ってませんでしたよぉ』
 それは僕が変って事かな?
 ちょっと引っかかって尋ねようとし、また彼女に落ち込まれてはかなわないと考えてファリーは口をつぐんだ。
『あなたって不思議ですねぇ』
 彼女はそう言い、ほわほわと笑う。
『まさか「僕と旅をしない?」なんて願いをされるなんて、アリの触覚の先ほどにも思ってませんでしたよぉ』
「放っといたら可哀想だしね」
 それにあそこで延々泣かれたら、寝覚め悪いし。
 言葉の後半は胸の中で呟き、ファリーは嬉しそうに走ったり踊ったりしている人外ロリ(顔だけ)を見た。
 薄絹の服が陽光に反射して、とても綺麗だ。綺麗だが、中が透けて見えそうでちょっとドキドキしてしまう。
「まず街へついたら、服を買おう」
『何かいいましたかぁ?』
「何も」
 と答えて、ファリーはまだ彼女の名前を聞いてない事に気付いた。
「君の名前は?」
 と尋ねれば、彼女は嬉しそうな顔をして、
『私の名前はですねぇ……』



 かくして人外ロリ(顔だけ)ことハルワタートは、精霊の界隈を捨て人間の界隈へ住み着くことと相成ったのであった。



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