と汗と涙と塗料と黄金色の青春

〜麻婆豆腐と洟汁とBC兵器用洗浄剤〜

 大抵のスペースノイドは夕焼けに憧れる。

 宇宙移民者も二世代目以降ならば地球の種々様々な自然現象をTVや書籍以外で体感した経験が有る者はごく僅かである。
 元から地球に住む者たちにとっては過酷なだけの灼熱の砂漠や極寒の雪原も、年間を通じて空調された快適なスペースコロニーに住む我々にとっては憧憬の対象となり得る。

 ノヴォシビルスク最前線。
 凍て付く大地と白き闇。
 止まぬ吹雪に包まれた。
 命震える極寒の地。

 っていうか、俺の夕焼けを返せー。



「ぶえーっくしょい!」
 陸戦艇、ギャロップの後部に連結されたカーゴの中で俺は盛大なくしゃみをした。
「あ」
 べったりと。
 俺が塗装保護用の麻婆豆腐(例のアレ)を塗っていたザクの表面に洟汁が……
「まあ、いいか?」
 ZEMELフーズの麻婆豆腐の皮膜は外の猛吹雪に晒されても塗装表面はビクともしない。
 俺は周囲を素早く見回し、他の機体に取り付いて作業していた仲間たちに見つかってないことを確認すると、手早く飛び散った洟汁の飛沫を麻婆豆腐と一緒にザクへ塗りこんだ。
「これでよーし」
 女性の兵士が乗る機体なら綺麗にふき取るところだが、どうせ、この機体はブレイズ伍長が使う機体だ。構いゃしねえ。
 大体あの男は変だ。
 軍人の分際で顔に変な道化師みたいなペイントをしやがってナリナリと……ぉっ、ふぉ。

「ぶぇっくしょーっ!!」
 寒い。
 一応空調は効いてる筈なんだがなあ?
 支給された薄っぺらい灰色のジャンパーの襟元をかき抱き、もう片方の手でザクの装甲を電動ポリッシャーで磨いていく。
「えくしゅっ!」

 何しろ地球上で運用される艦艇と言っても、設計するのは地球環境の事なんざ書類上のデータでしか知りえない技術者達だ。
 奴らの知識には読者の興味を惹くため、人類の限界に挑戦する姿を賛美し、自然の猛威と戦い有りのままを受け入れて生きる素晴らしさを称える様に脚色された冒険家や登山家と言われる人種が書いた書物も含まれているのだから堪らない。
「ぶえーっくしょ! フェックショ! ぶふぇっくしょおん!」
 そんなもん、クソ喰らえだと思った。
 かく言う俺だって地球に降下する前は同じように考えてたから偉そうな事は言えないけどな。
 それにしてもカーゴの中は寒い。
 ギャロップ自体の暖房だってお世辞にも良いとは言えないが、それに牽引される格納庫に過ぎないカーゴの中はさらに冷え込む。
 まあ、それでも結露しないだけ外よりは随分マシだとは思うが……
 
 はぁーっと両手に息を吹きかけかじかむ手を温める。
 そういえばコロニーに居た頃は滅多にしない行為だなー。
 わきわきと指を動かして血の巡りをいくらか回復させるとワックス(麻婆豆腐)掛けを再開する。
 地味な仕事だが外が猛吹雪に見舞われているノヴォシビルスク等では結構馬鹿に出来ない。
 機体に雪がこびり付きでもしようもんなら整備にも一苦労だからな。
「ぶふぁーっくしょい、ずずぅ」
 うー、風邪引いちゃったな、こりゃ。



 そういえばこの艦……と言うよりノヴォシビルスクへ進行している将兵の中では困ったことに風邪が蔓延してるらしい。
 一応地球に降下する前に一通りのワクチンは予防接種されたものの全ての疾患に対応しきれず、滅菌に近い状態のクリーンなコロニーの大気に慣れた体は風邪の菌に対して抵抗力が低く、また集団生活を余儀なくされる狭い軍艦内においてあっという間に広がってしまった。
 おかげでパイロット連中は可哀相にかなりキツイ薬で無理やり症状を封じ込め、熱っぽい顔で奥に重さの残る頭を抱えてて出撃しなきゃならなくなった。

 汎用機のザクUはまだいいんだが、地上戦用に特化されたデザートタイプやザクキャノンを割り当てられた兵士は大変だ。
 何しろ開発者が地球の環境を舐めてかかってるのでエアコンの効きは期待できないしコックピットの密閉も不完全。
 同じMS−06系列機で有りながらコックピット周りを換装しようにも開発時期がずれるこれらの機体同士ではコネクタ類やマウント部分の互換性が無く、取替えには部品加工のための予算や資材が必要になるため放置されてしまっている。
 仕方なく寒さに耐えかねたパイロットは宇宙用活動用のノーマルスーツを持ち出して着用するのが普通だった。

 ……まあ、ウチのパイロットにゃ若くてカワイイ娘が結構多いんでボディラインが綺麗に出るノーマルスーツはむしろ大歓迎なんだが。
 新素材バンザーイ。



 と、ここでザクが融通の利かないダメな機体に思えるかも知れないが決してそーじゃない。
 最先端技術の結晶で有りながら生産コストが安価で、学徒兵にすら行き渡るまで充分な機数が量産可能だし、人間に近い複雑な機動が可能なのに比べその部品点数は恐ろしいほど少ない。
 先日、任務で鹵獲した地球連邦軍のGMを後送のため分解して木箱に詰めた事があったがザクに比べてよく言えば緻密、悪く言えば煩雑なその構造にゃ驚いたもんだ。

 確かに機体性能で言えばザクはGMに対して一歩も二歩も遅れを取っているだろうが、優秀な兵器ってのは何も機体性能だけで決まるわけじゃあ無い。
 仮に公国軍がザクでは無くGMを開発していれば前線で戦う将兵に充分な数が回らなかっただろうし、機構が複雑だって事は故障も多く、交換部品も割高になる。
 当然複雑で故障が多いって事になれば整備に大幅な時間がかかる事となり出撃に差しさわりが出てくる事だってある。
 確かに同じメーカーの機体どころかMS−06系列同士でも互換性の無いパーツも多い。
 その反面、構造がシンプルなため『費用対効果が見込めるなら』改造して違う機種のパーツに付け替えることも容易だ。
 何しろ運用思想すら全く違う戦車のマゼラアタックにザクの上半身をくっつけ、作業用のザクタンクとして運用するなんて真似は地球連邦軍ではまず不可能だ。
 ま、俺たち整備兵が乏しい補給体勢の中で鍛え上げられた職人芸の魅せ所って訳だ。
 それにザクタンクは俺たち整備兵でも搭乗出来る数少ないモビルスーツだしな。



「さってっと、終了。次行こうかぁ……ずびー」
 大体一機のザクに対して一缶の麻婆豆腐を消費する。
 面倒だがいざ戦闘になれば整備性の高さを活かして短時間で再出撃させなきゃならないので怠ける訳にもいかない。
 ブレイズ伍長のザクUにたっぷりと麻婆豆腐(と洟汁)を塗りこんだ俺は新しい麻婆豆腐の缶と電動ポリッシャーを手に次の機体の足元へ。

「見たぞ」
「うわあっ!?そ、そ、そ、そうちょおどのっ」
 俺がまだ麻婆豆腐を塗っていないザクの足元に向かうとそこには憮然とした顔でホスゲン曹長が腕を組んで立っていた。
「こーの馬鹿たれがっ、機体に小汚い洟汁を塗りつけるんじゃ無い! 後で装甲外すのはお前一人じゃないぞ? さっさとクリーナーでふき取って塗りなおせっ!!」
「えー? そりゃ無いっすよお。せっかく塗ったのに」
「えー? じゃ無いっ! オマエの洟汁の中の菌がこの得体の知れない麻婆豆腐と表記された物質と謎の化学反応して恐怖の殺人ウィルスに進化したらどうするっ!?」
「いや、流石にそれは無いと思いますがぁ」
「断言できるか?」
「う」
「もし仮に……結構な高確率で変なウィルスが発生して明日の朝になったら艦長を残して部隊が全滅などと言うことになったらどーする? 責任取れるのか? 取れるのか? 取れねぇだろ? 何しろ死んじゃってるんだからなあ」
 曹長は一気にまくし立てた。
 多分,、冗談では無く本当に心配してるんだろう。
 俺も絶対にありえないとは言い切れなかった。
 何しろ麻婆豆腐がワックスの代わりになったり中華まんが冷蔵庫の脱臭剤に転用できるくらいだ。
 他のメニューも『食用以外では』非常に有効活用されている。
 もっともパウチラミネートに入った『エビチリ』と称する物体を開ける度胸の有った者は誰一人居なかったんだけど……

 もぞもぞ中で動いてるんだもんなあ……

「いいか? これは緊急だ! 間違いが起きてからでは遅いんだ。 すぐに取り掛かれ、すぐにだ!」
「ヘ、ヘイ!」
 我ながら情け無い返事だとは思ったけどやっぱり軽率な行為だと思った。
 いくらなんでも殺人ウィルスは無いと思うが有毒な成分に変化するぐらいは充分考えられる。
 俺はBC兵器用のクリーナーを掴むと慌ててブレイズ伍長のザクに駆け戻った。
 他にワックス掛けをしていた仲間達はクスクスと忍び笑いを押し殺している。
 手伝ってくれねぇのかよ、クソッ
 手早くティッシュをちぎって両方の鼻に詰める。
 少々息苦しいがこうでもしないと同じ事の繰り返しになっちまうから仕方ない。

 BC兵器用クリーナーを吹き付けて一度塗りこんだ麻婆豆腐を落としていく。
 BC。つまりバイオケミカル兵器の使用は勿論、南極条約で使用が禁止されている。
 とは言え、戦争って奴はルールを守れない輩がどうしても存在しちゃうわけで、しちゃあイケナイ事だからって大人しく言うことを聞く奴は稀だ。
 まあ、そういう訳でこの艦にも化学洗浄槽をはじめとする設備が艤装されている。
 


 まだらに……



 ま、マズイ!?
 なんか知らんがこれは危険だ。
 ZEMELフーズ謹製自称麻婆豆腐+俺の洟汁+対生化学兵器洗浄剤の織り成す三重奏の調べがMS-06の装甲を、そのなんだ? えーとしいて言うなら玉虫色……かなあ?
 寒いカーゴの中の気温が一気に跳ね上がったかと錯覚するほど汗が噴出す。
 心臓が早鐘を打つ。
 ごしごしと装甲を擦るがあらかたふき取ったはずの装甲表面にも次々と面妖な模様が浮き出てくる。
 冗談でも兵器に塗られる色ではない原色のけばけばしい迷彩パターンが施されたザクを見つめて呆然と立ち尽くしていた。

(つづく)


TOPへ