と汗と涙と塗料と黄金色の青春

〜金属臭とケミカル臭と塩味の日々〜
 突然だが……

 ジオン公国軍のメシは不味い。

 古今東西、軍用の糧食なんざ、味は二の次、三の次と相場は決まっているが公国軍のは特にクソ不味い。
 これで栄養価でも高いってんならまだしもただただカロリーが高いだけだから始末に終えない。
 地球連邦軍のメシがどんな物かは食ったことが無いので知らないがいくらなんでもこれ以下ってことは無いだろう。



「うーん、ザクの装甲に塗ったらさび止めとツヤ出しに良さそうな味」
 俺は顔をしかめながら赤茶色のペーストが入った缶を手にして、搾り出すような声で言った。
 車座になって格納庫に座り込んだ下士官達はひくひくと肩を震わせる俺の顔色を見て、お互い顔を見合わせる。
『麻婆豆腐』
 俺が手にした缶にはそう印刷されている。
 言われてみればなるほど中には白い豆腐の様なカケラも混じっているし、舌に触れないよう飲み込まず、ちゃんと味わう度胸が有れば、この物質が麻婆豆腐と世間一般で呼称される食品の味と共通点がある事を知覚できる可能性もあるかもしれない……かなあ?

「うぬぅ、悪名高いZEMELフーズのレーションを発注する指揮官が現実に居たとは。ワシは軍隊に入って初めて見たぞ?」
『中華まん』と書かれた平べったい缶を弄びながら初老の小男が呟く。
「曹長、食わないのですか?」
 中華まんを手にした上官のドゥマン・ホスゲン整備曹長に俺は声をかけた。
「しかしな、シャーよ。 お前らは知らんかもしれんがなあ。このZEMELのレーションというのはな、支配地域にファットアンクルから木箱に詰めてパラシュートで救援物資としてばら撒くと、何故かゲリラが活気付いて『ジオン公国許すまじ』の気運が高まるんだぞ?」
「何故!?」
 俺、シャー・キャスバルル整備二等兵は思わず聞き返した。
 曹長は何故か胸を張って誇らしげに続ける。
「まあ、一番多いのは捕らえた連邦の捕虜を拷……いや『あくまで合法的な尋問』のときに与える時なんだが、泣きながら情報を洗いざらい吐いたり、他にもインスタントコーヒーの粉を食料保管庫の周囲に撒いておくと、たとえ宇宙空間でも鼠が艦から家出しちゃったりとか使い道は色々有るんだそうだぞ?」

 この男は俺にそんな物を食わせやがったのか……



 ムサイ級戦艦『ヘシオレ』(なんつー名前だよ)に乗艦し、タイガーバウムコロニーから出向したのは3日前。
 交戦宙域を大きく迂回して地球に向かっているため、操艦クルーを除いた俺たちモビルスーツ整備要員やパイロット達は暇を持て余していた。
 することの無い俺たちは今のうちに地上に降りても困らないよう、装備の点検や古参兵のアドバイスを受けたりしていたのだが、そのうち俺の直属の上官であるホスゲン曹長が見慣れない軍用携行食を発見。
 これは後になって聞いた話だが、公国軍に卸している数社の中から艦長が「ここのだけ“不自然に”安いから」というちょっと聞き逃し難い理由で発注したものらしかった。
 かねてからこの携行食を生産しているメーカーの良くない噂を聞いていた曹長が危機感を募らせ、俺を含む新兵十数人をMS格納庫に召集。
 盗み食い……もとい。秘密の試食会を始めたのだった。



「で、曹長殿は食わないのですか?」
 俺はもう一度尋ねた。
 曹長が倉庫からこっそりガメてきたレーションを前に集められた新兵達は当然、皆揃って難色をしめした。
 仕方なく上官の命令で一番下っ端の二等兵である俺がいけにえとなりこの自称麻婆豆腐を口にした……させられた。
 このまま、俺一人泣き寝入りは納得出来ない。
 是非とも言いだしっぺにだけは食わせなければ気が済まなかった。
「ん、まあ、そのなんだ。そうだ! 少尉、ツキムラ少尉はどうかね? あんたらパイロットは出撃したら絶対にこれを口にしなければならない! さあ、何事も経験だと思って食ってみなさい、さあさあ!」

 曹長は端の方でちょこんと正座して事の成り行きを見守っていた士官学校出たての少尉に突き出した。
「……」
 可哀相に次のいけにえに決められてしまった新米少尉は呆然となって中華まんと書かれた缶を見つめる。
 彼女、シノブ・ツキムラ少尉は灰色がかった黒髪に金色の目をした結構な美人で、軍人らしい凛々しさをも兼ね備えた容貌と、一見無愛想に見られがちだが意外と人付き合いは良い性格で若い将兵に人気があった。

 なにより、艦長と違って『変』じゃ無かったしな。

 階級は上とは言え未だ実戦経験の無いツキムラ少尉ではこの艦内で一番の軍歴を誇る最古参のホスゲン曹長にはそうそう簡単に逆らえるものでもない。

 すがる様な上目遣いで何故か俺のほうを見つめる少尉。
 うっ、すげえカワイイ……
 多分一個食ったんだからもう一個くらい大丈夫でしょ? という意味らしい。
 潤んだ金色の瞳が俺にそう訴えかけているのが解るが、こんなもの二つは食えない。
 食えば、死ぬ。
 すまん、許してくれい。いくらなんでも二つは食えん。
 ツキムラ少尉の視線に耐えかねて思わず顔を背ける俺。
「んんー? どうしたぁー。イカンなあ軍人とも有ろうものが好き嫌いをしちゃあ。部下に示しがつかんですぞー」
 いたいけな仔猫を嬲る飢えた野良犬の様な邪悪な笑みを浮かべた曹長は怯える少尉に、にじり寄る。

 援護の無い事を知り、覚悟を決めた少尉は一つため息をつくと、その細い指を缶のプルタブにかける。
 非難めいたまなざしを俺に向ける少尉。
 いや、気持ちは解るが俺のせいじゃねぇだろ?
「……てや」
 諦めにも似た掛け声で缶の蓋を開ける!

 ぱっしゅー。

 待て。
 なんで中華まんの缶からガスが噴出すんだ?
 目を白黒させるツキムラ少尉、恐る恐るフォークをつるんとした光沢のある中華まんに突き立てる。

 がつ。

 硬い音がした。
 フォークに力を込めて押し込むと中華まんの硬さに耐えかねたプラスチック製のフォークは職務を放棄してぽっきりと折れた。
「……」
 悲壮な顔で、少尉はポケットから官給品のパイロット用折りたたみナイフを取り出すと刃を開く。
 新品のタフな鍛造鋼の刃が照明を浴びてギラリと照り返す。
 少尉は刃を食いしばると逆手に構えたナイフを中華まんに突き立てる!
 固唾を呑んで見守る俺たちを他所に少尉は二度、三度と歯を食いしばってナイフを振り下ろすたびに滑らかな中華まんの表面に傷が付き始める。
「ふっ、クッ!」
 何度目かのアタックの後、表面に生じたクラックに肉厚の刃が滑り込み、パリンとガラスが砕けたような音を出して中華まんが砕けた。
 一斉にツキムラ少尉の手元を覗き込む俺たち。
 なるほど、確かに大理石の様な中華まんの中心部に俺の麻婆豆腐に似た茶色い物が詰まっている。
 遠目にはちゃんと中華まんに見えないことも無いだろう。
 少尉はしばらく怒った様な悲しそうな複雑な表情で中華まんを見つめていたが、やがて意を決したように目をつぶるとその一欠けらを口に放り込んだ。
 ぎゅっと目をつぶった少尉が口をもぐもぐ動かすと泥でも噛んでいるようなじゃり、じゃり、と言う不快な音が聞こえてくる。
 健気にも目じりに涙を滲ませて中華まんを咀嚼していた少尉はやっとの思いでそれを飲み込む。

「む、無機物」

 青白い顔で呟く少尉。
 無機物ってどういう中華まんなんだよ?
 少尉は続けて無言で『鯉の甘酢餡かけ』と書かれた缶を引っつかむと一気に蓋を開けた。
 俺の横に座っていた同僚の二等兵に鯉の甘酢餡かけを突き出す少尉。
「ひゃあ!?」
 無言の威圧感に気おされて思わず缶を受け取る二等兵……確か名前はマイリーだったか?
 殺気すら感じる饐えた臭いを放つ鯉の甘酢餡かけ。
 無論、俺と同じ下っ端の二等兵が少尉に逆らえるはずも無く泣く泣くスプーンで一さじすくって口に運ぶ。
「へぐぅっ!?」
 叫ぶと缶を放り出して口を押さえ、駆け出すマイリーだかマイラー。
 多分トイレだろう。



 この後は地獄絵図だった。
 悪魔に魂を売ったツキムラ少尉と俺は絶妙のアイコンタクトを駆使してその場に居た連中を捕らえ、レーションを無理やり食わせていった。
 被害にあった連中は怒りに任せて他の兵士を捕らえてはその口へ缶の中身をねじ込んでいく。

 こうして、その場に居た十数人全員がZEMELフーズのレーションを口にし、ザクの足の影に潜んでいたホスゲン曹長に詰め寄った
「ま、待て貴様ら。落ち着くんだ。今、お前たちは正常な判断能力を失っている」
「さあ、曹長殿お口をアーンして下さい。好き嫌いする子は大きくなれまちぇんよー、くっくっく」
 血走った目で誰かが言った、その時の事は興奮して良く覚えてなかったが、もしかするとそれは俺が口にした言葉かも知れなかった。
「や、止めろ。ワシが悪かった。許してくれっ。そうだ鳳大尉にはワシからこのメーカーのレーションをやめる様に掛け合ってやる! そうだ、それがいい。わは、うわはははははっ!!」
「んー、そうですな艦長と交渉して貰う為にも、ぜひこのいかれた味を知ってもらわなければ……」
「やーめーろー!」
 俺たちは総出で暴れる曹長殿の手足を押さえつけるとアゴを掴んでこじ開けた。
「いいいいやあああだああッッ!!!」
「やれ」
 ツキムラ少尉の指示で手の空いているものが曹長の口へ思い思いのメニューを放り込む。



 その日、ムサイ級戦艦ヘシオレ全体を断末魔にも似た謎の衝撃波が襲ったのをクルー全員が認めたそうだ……



「ですからっ、こんな物を将兵に与えていては士気に影響しますし、何より健康に差しさわりが有りますっ!」
「はあ、確かにお世辞にも美味しいとは言えませんがこのくらいでは発注するメーカーを変更する訳には」
「いや、なんであんたこれ食った後で平然とそんな事言えるんだ???」

 その日のうちにホスゲン曹長はZEMELの携行食を持って艦長室へ直訴に向かったが、あっさりとその訴えは却下されてしまったそうだ。
 どういう舌してんだよ、あの小娘。

「いいじゃあ無いですか中華のメニューも豊富だし、なによりとっても安くて経済的です。あ、それにホラこの缶簡単に小さく折りたためるんですよ? 凄いですねえ」
「それは生分解アルミニウムカーバイトと言って軽くて丈夫で火にくべれば燃料にもなると言う公国軍が開発した優れものでってちっがぁーう!」
「曹長さん? あんまり興奮なさるとお体に触りますよ? この艦の乗員は若い方が多いのですから経験豊富な曹長さんを頼りにしてるんです」
「いや、だから発注先の変更を……」
 必死の説得も虚しく柳に風の艦長。



 それは俺たちの艦が大気圏に突入する前日の出来事で有った。
 


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